今月の本: 木
著者:幸田 文
発行:新潮社(1995年)

 

木には二つの命があるという。

ひとつは生物としての命。着床し、芽を出し、太陽の光を受けて少しずつ、大きくなっていく。いつか枯れて、もしくは伐採されてその枝先が地面にたたきつけられるまで、大地に根を生やし、呼吸をつづける。

もうひとつは木材としての命。昔から日本では木造建築が主流だったが、かつての大工たちは伐採された木からその木がどちらの方向を向いていたのか、どのように生育するのか、わかったそうだ。その木の性質に耳を傾ければ、古都の寺院を始めとする古代からの建築物として生き続けられる。ときには生物としての寿命を超えた存在になる訳だ。

作者の流れるような文体で紹介されるのは、季節の折々で、全国各地の様々な場所で、育ち、生き続ける木だ。北海道の自然林で倒木の上に育つえぞ松、作者の父親であり高名な作家であった幸田露伴とのやり取りが興味深い藤の話、縄文杉の出会い。またそれだけではなく、冒頭で紹介した木の二度の命の話では、大きな木材を扱うことで、大工自身が成長するとも考察する。木は単に生えるものではない。建材となった後に、その建材に携わる人をも成長させる。

作者である幸田文が紹介するのは単なる木の現状や木材としての木の命だけではない。ときには災害で変化した環境や、家族とのやり取り、日常のふとした出来事と結びつく風景を丁寧に描いている。

小さいときから植物に慣れ親しむ環境だった作者。植物への造詣が深かった早世した姉と、その姉への父親の期待に対する嫉妬と「負けたくない」という気の強さ。そんな作者の幼少期の経験からか、この木をめぐる短編集は木への深い愛情だけではなく、樹木の保全や木材としての利用に関わる人へ、憧憬ともつかない感情をにじませているように感じたのは私だけではないだろう。

「樹木とつきあえる人はそれぞれにやさしさを持っている」と述べる作者。私には作者からこそこのやさしさを感じてならない。