今月の本:「木の教え」
作:塩野 米松
発行:ちくま文庫(2010年)

 

数年前に見た伊勢神宮の建て替えを取り上げたドキュメンタリー番組で、柱に使う木は育った方角を配慮してその方角になるように使う、と知った。育った方角によって、木の性格も変わるので、それに配慮すると、長い長い時間、木材として活用できるのだそう。それを考えて建物を作っている宮大工さんってすごいなー、と思ったことを覚えている。

 

この本は、そんなさらっとした「すごいな」を「感動」に変えてくれた本だ。

 

塩野さんという方は、聞き書きの名手として有名で、これまでにも日本各地の漁師さんの聞き書きでも、様々な漁師さんの経験を紹介するすごく面白い作品を発表されてきた。そんな彼が今回取り上げたのは、木を扱う職人達が木から学んだこと。本来なら口伝で文字に残されていない教えが、次世代へ受け継ぐ人材が不足したことから、初めて文字として起こされたものだ。

当たり前だけど、木は生きものだ。それは大抵誰もが知識としては持っているもので、身近に触れられる森が減った現代であっても「あたりまえ」の事実としてある。

この本が教えてくれたのは、木には1本1本に違ういのちがあるのだということ、切られた後にも木材としてのいのちがあるのだということ。そしてそれらから私たち人間が学ぶべきことがどんなに多いか、ということだ。

木材っていうと、どんな姿を想像するだろう?
ホームセンターや東急ハンズで板として売られている、均一化された商品。そんなイメージからは想像もつかないことだけれど、木にもそれぞれ個性がある。

例えば、林の中に生えている木。日があまり当たらないので、枝が少なく、陽の光を少しでも取り入れようと高くまっすぐに成長している。林の端に生えていると、日当たりがよいため枝がたくさん出て、葉が茂る。でも、林の中の木に比べ風の影響を受けやすくなるので、風に押されて押し返す力を持っている。その力が、切って木材となった後に、ねじれとして出てくるのだ。

異なる環境で育った木は、木材になってから時間をかけて、それぞれが持つ癖が出てくるため、昔は、将来出てくるだろう癖を見越して木の使い方や使う場所を考えていたのだとか。

何も考えずに家を建てていたら。
柱の木がすべて同じ方向に曲がるように配置されていたら、数年後に建物は傾いてしまう。でも木の癖を読んで、すべての柱が内側に曲がるように配置すれば、傾くことも屋根がひび割れることもなく長持ちできる。

今は効率を第一とすることにより、すべての個性を無視して均一の木材を量産することが主流となってしまった。

法隆寺は日本最古の建物と言われているが、1本1本の木は異なるものだと深く理解している宮大工さんたちによって建築され、維持されてきた。そのいのちの癖を承知のうえで、それぞれの性質を見抜き、それを適材適所に使うことで、丈夫で美しいものを作り上げている。だからこそ、ここまで長くその美しさをとどめている。

そしてこのことは、人としての在り方、日本の社会の在り方を考え直していかなければならないのでは、という気持ちにさせられる。効率や合理性に飲みこまれて、消えていこうとする素晴らしいものがあるのではないかしら、と。

実際、現代の社会や教育の現場で浮上している様々な問題、例えば自殺の増加や学力の低下などは、この効率と合理性を求めることによる弊害が一端を担っていると言える。

「木の教えを振り返ること、それはそのまま人としての生き方を見直すことである。」

そう言い切る筆者の考えに深くうなずいてしまうと同時に、純粋に木の持つ力や、それを扱う宮大工の人々の仕事の奥深さに感嘆してしまう、そんな感動の1冊だ。