街から生物多様性を考える

生き物の通り道:表参道・青山を歩く

「都会で生き物を目にすることが減った」と言う話をよく聞く。最近だとスズメの数が減少したというニュースを読んだ。スズメが減ったことはスズメの住環境の悪化やエサとなるものの減少、スズメの天敵の数の増大などが問題になっている。

人間にとっても、生き物との触れ合いは数多いものではない。その結果、子どもたちが生き物に触れることを怖がることも多い。先日未就学児の託児所の子どもたちが、セミの抜け殻を怖がったという話を聞いて驚いた。人間と生物とのつながりが、都会では途切れているようにも見える。

本当にそうなのだろうか?都会で生物多様性、自然の営みを感じることは難しいのだろうか?
都心部では、これまでの画一的な緑地化ではなくて、その土地が本来持っている自然環境を見直したり、生き物が暮らしやすい環境づくりが始まりつつある。

「原宿表参道 町歩き・風歩き・いきもの歩き」

茨城県霞ケ浦の再生事業や霞ヶ浦流域の小中学校への環境教育プログラムの提供などを行っているNPO法人アサザ基金は、現在「原宿表参道・森の風・森の恵プロジェクト」として、今年8月から風船トーク「まち語り・風語り・いきもの語り」や、「原宿表参道 まち歩き・風歩き・いきもの歩きイベント」を開催している。

代表の飯島博さんは、トークイベントで、東京と言う町の特殊性を指摘している。「パリやロンドンなど都会では都市の中心にオベリスクがあったり、凱旋門など、人工的な建造物があります。対照的に東京は、中心に皇居があり、そして明治神宮という、広大な森が広がっています。これは世界でも非常に珍しい都市の形態です」

日本では「鎮守の杜」の思想に見られるように、日本各地で森そのものが神格化し、人々の畏敬の念の対象とされてきた。森は神社と共に存在することで常に人の手が入り、管理されてきていた。鎮守の杜は多様な植生を見ることができる、貴重な生態系を保ってきた。

明治神宮の鳥居 cmenu-47-p01.jpg

原宿にある明治神宮の森も、そのひとつだが、人工林であり、その歴史は比較的短い。明治神宮が出来る前は、一帯が皇室所有地であり、現在の御苑を除くと大半が畑だった。明治45年(1912年)に明治天皇が、大正3年(1914年)に昭憲皇太后が崩御された後、神霊を祀る目的で大正4年(1915年)から造園工事が開始、大正9年(1920年)に「永遠の森」を目指した壮大な計画のもと、創建された。

創建に際して365種、約10万本の木が全国から奉献され、11万人に及ぶ青年団の勤労奉仕によって、この東京ドーム15個分の境内に代々木の杜が誕生した(現在は246種、17万本)。植林に当たっては当時の学者が、すでに問題となっていた公害による、都内の植生への悪影響や、地質などに配慮し、椎・樫などの照葉樹を植えられた。環境に配慮し作られたこの人工の森は、創建して50年後に境内の樹木の調査を行ったところ、わずか半世紀で自然の状態になっていた程である。

この明治神宮の杜は、もちろん単なる森ではない。明治神宮がある位置は谷津と呼ばれる地形を成している。谷津とは、台地が谷に入り込む独特の地形で、縄文時代の浅い海が陸地化した時に、細長い湿地として残った地形を指している。湿地では湧水があり、人々は昔から谷津の地形を生かし、農業などを営んできた。

渋谷はその地名が示す通り、「谷」であり、高低差が非常に多くある。そのため、明治神宮や渋谷周辺には谷津を中心に複数の水脈を昔の地図から読み取ることが可能だ。パワースポットとして人気の高い、明治神宮の奥地にある湧水の井戸、「清正井(きよまさのい)」は、明治神宮が持つ豊かな自然環境の象徴でもある。明治神宮は、かつては里山だったのだ、と飯島さんは話す。日本の原風景と言うべき風景が、そこに眠っていた。

江戸時代、歌川広重の浮世絵でも浅瀬の水辺の豊かな自然を見て取ることができる。かつては、水辺は、この地域では当たり前に存在していたのである。大正時代に作られた唱歌「春の小川」のモデルは渋谷川だが、歌詞に出てくる「岸のスミレやレンゲの花に」(1番)「蝦やメダカや小鮒の群れに」(2番)というフレーズは、渋谷川のかつての豊かな生態系を示している。

しかし、都市化の発展によって、谷津の地形を感じることが非常に困難になったと、飯島さんたちは指摘する。工事が繰り返される中で、渋谷川の流域は、護岸で固められてしまったり、地下に潜ってしまった。生息環境が損なわれることで、かつて当たり前にたくさんの虫が捕れていた環境も変容した。子どもたちの遊びのひとつであったと紹介してくれたのは、表参道に住む昆虫の専門家、石川良輔さん(東京都立大学名誉教授)だ。渋谷川も、見る影もない。

しかし、本当に自然はないのだろうか?生きものの視点から見ると思いもかけないところに彼らの生きる場があるのに気づく。その中心が明治神宮だ。アサザ基金では、明治神宮を軸に、「風の通り道」を見つけることを提案する。明治神宮の谷津の、重く涼しい空気が作り出す風は、竹下通り、表参道へと流れている。

そして、その風が通る道は、生き物が通る道でもある。涼を求めてトンボやチョウチョなどが生息することができる。

アサザ基金のプロジェクトは、風の通り道で生き物を探し、見つけることで、生きものが都心で棲みついていること、都会の空間にも命が確実に存在していることを再確認するプロセスだ。ユニークなのは、これまでのように郊外の自然を見直すのではなく、都心から生きものを発見し、さらにその都心に住む生きものが住環境を拡大させる中で、生きものたちの生息範囲を郊外にまで広げていくという試みだ。風船を持ち、風船が流れる方向へ歩くと、表参道の欅並木にセミがいるのを発見。チョウチョが飛ぶのを見たときは、参加者たちから歓声があがっていた。

cmenu-47-p02.jpg 風船で風を追いながら進む

明治神宮と明治通りを交差したあたりにある東郷神社ではセミの声が無き響くほか、カナブンやトンボも目にした。参加者の中には、都心部では姿を消したといわれていたハグロトンボ(涼しい場所を好み里山の清流に住むトンボ)を、この神社で発見した人もいるのだそうだ。

このイベントは、土地が持つ生きものの記憶を追体験しようとする試みだともいえる。改めて街を見ると、竹下通りの脇の小道に護岸の跡が残っていたり、トンボやチョウチョが生息していることがわかる。動物たちは、都心に残された自然をうまく活用して、生活していた。

「土地の記憶プロジェクト」

表参道の試みが、生きものの発見であれば、青山の試みは再び生きものの生息地を広げるための取り組みと言えるかもしれない。青山通りを中心につながる4つの商店会の連合会である青山商店会連合会は、大規模な企業ビルが立ち並ぶ中で、昔から暮らす地元の人々や新規に参入した企業、団体などが共に青山の魅力を再評価し、暮らしていける街づくりを目指して、「土地の記憶プロジェクト」を開始した。

同プロジェクトは、人間の暮らしや文化が、住んでいる土地の自然に影響を受けて生活していることを出発点にしている。暑い地方に住む人と寒い地方で暮らす人、砂漠で生まれた人と熱帯雨林で生まれた人の自然観は当然異なり、その気候に適応する形で生活形態が作られる。ライフスタイルが成熟する中で文化が生み出された。つまり、「文化は環境によって作られたんです」と、青山商店会連合会の市川さんは話す。

青山という地で、失われつつある自然への眼差しと、感性を育む中で、青山と言う土地を再発見する試みだ。 青山商店会連合会は、街や学校、企業で行う生物と暮らしの多様性の研究を通して環境コミュニティつくりを目指し、街に住まう生物と人の多様性を図ることを目的に始まったプロジェクトでは、まずは身近な自然を見直し、必要であれば生き物がくらせる場所をつくることから始まった。

明治神宮、青山霊園、神宮外苑など比較的まとまった緑地がある青山地帯は、もともとある植生を活かすことが目標に据えられた。緑が多いとはいえ、原宿から青山にいたる一帯は、国道246号線により分断されてしまっている。分断されることで、生きものたちが移動することが困難になっている。その結果、生態系も分断され、本来の生態系を維持することが困難になった。ビオトープの試みは、この分断された生態系を回復させ、本来の生態系に近づける試みだ。

この試みは、たとえば近年盛んとなったミツバチの養蜂と異なり、一見わかりにくい試みである。しかし、この養蜂プロジェクトは、人間がハチを使って蜜を採るためであり必ずしも自然の回復を意味している訳ではないことには注意すべきだろう。ミツバチを無理矢理働かせるのではなく、さまざまな生きものが生きられること、これが生物多様性の保全のためには大切だ。生きものの視点からみても、単なる緑化ではなく、生態系の回復も重視することが求められる。

2009年の青山まつりでつくったビオトープ cmenu-47-p03.jpg

青山商店会連合会は、生物のための地域本来の土地の記憶をさかのぼることを第一義に掲げ、そのための生態系の観察やモニタリング、ビオトープつくりを通じた多様な生きものが共生する環境について理解することなどが取り組まれている。そのひとつが公立の青山小学校を拠点とするビオトープつくりと生きものの定点観測だ。

ビオトープとは、「ビオ(bio)=生物」と「トープ(top)=場所」を合わせた言葉で生物が暮らす場所を意味している。青山小学校では2009年10月から校庭の片隅などを利用してビオトープ作りを始めた。このビオトープには植物とメダカを除いては生きものを他から連れてくるという方法はとっていない。しかしビオトープができてからヒキガエル、チョウ、トンボなど「小さな生態系」にやってくる複数の生きものが観測された。メダカも、植物も遺伝的多様性に配慮して、多摩川水系から採取されたものだ。

このビオトープつくりを通じて、ビオトープに暮らす生きものを題材に、多様な生物が暮らす環境づくりをどうするか、観察と実践を通じて学ぶことになる。人と自然の研究所の野口さんは、失われた自然を再生するビオトープの役割と可能性について話してくれた。

たとえばトンボと言っても、種類によって好む環境は異なる。日陰を好むのか、日向を好むのか、産卵のときは飛びながら水面に落とすのか、泥やコケの中に産み付けるのか。水面や水中に飛びながら卵を産み落とす場合は、羽がぶつからないような、一定の空間を確保することが必要だ。

その他、ビオトープを作ることで、生きものの理解を深めることもできる。例えばメダカの身体の仕組みを考えてみる。なぜメダカの口は上向きなのか。背びれはどんな形なのか。考えるうちに、生きものたちの理にかなった体のつくりが実感できるようになる。

「土地の記憶プロジェクト」では、この「小さな生態系」を起点に、将来的には、国道246号線沿いに複数のビオトープを設置する予定だ。生きものの行動範囲に配慮して、600メートルごとにビオトープを設置すれば、生きものの行動範囲を拡大させることができる。そしてその結果、都市空間で分断された生きものの通り道を復活させ、都市の中心から郊外へ、郊外から中央へ、生きものが通る道が生まれることが期待される。

都会の中心から、かつての町の記憶を取り戻し、本来の生態系を復活させる試みは始まったばかりだ。しかしこの試みは、着実であり、長い時間をかけて生きものたちが通る道の復活を期待させてくれる。