TALK: MISIA × 武内和彦・国連大学副学長

2010年5月19日、生物多様性を前に、MISIAは武内和彦・国連大学副学長と生物多様性について、語り合いました。(当日の概要は2010年5月22日付の毎日新聞で紹介されました
話し手:MISIA/武内和彦(国連大学副学長) 司会:中井和久・毎日新聞東京科学環境部長

COP10へ向けて

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中井和久・毎日新聞東京科学環境部長。以下中井 2010年10月にはCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されます。COP10は、日本人が生物多様性の問題を考える良いチャンスだと思います。そこで、はじめに、生物多様性を失うということが、私たちの生活にどう結びついていくのかを伺いたいと思います。

武内和彦・国連大学副学長。以下武内 「気候変動」は、温度が上がって、海面が上昇して、ホッキョクグマが困ると言う風に、イメージしやすいんですね。生物多様性というと、どうしても普段の生活とはあまり関わりがなくて、難しい問題だという感じを思っておられる方が多いと思うんですね。
けれど、生物の多様性というのは、実際はすごく身近な問題なんです。例えば、私たちが普段食べている食べ物は、今輸入品が増えています。その輸入食品によって、我々の生活が成り立っているわけですが、その際に、輸入元の国や地域の自然を壊して作物を作っている可能性があるわけです。そう考えると、生物多様性は、実はすごく身近な問題のはずですが、まだ十分に理解されていません。
COP10を機会に、生物多様性、分かりやすく言えば、自然の恵みということですが、これが非常に身近で、しかもそれが大きな問題を抱えているということをぜひ皆さんに知ってもらいたいと思います。

中井 MISIAさんはCOP10の名誉大使に任命されました。これまでMISIAさんはアフリカの子どもの支援を行っていましたが、今回の就任は、今までのアフリカの支援とどのようにつながられていますか?

MISIA 貧困とは何か、貧困に対して何ができるのかを知りたくて、2007年に初めてアフリカに行きました。そのときは、例えば食べ物が食べられない、作物が取れなくて、貧困になってしまうというようなイメージを持っていきました。行ってみると、ただそれだけではなくて、例えば、教育を受けられないことによって、識字率が低くなってしまう。その結果、知識にアクセスできないとか、お母さんが字を読めないために、本当は毒薬なのに、薬だと思って子どもに与えてしまったりだとか、「危険」という看板の文字が読めなくて、子どもが危険な地域に足を踏み入れてしまうとか、教育が無いことによって引き起こされる様々な問題を目にしました。ああ、こういうこともあるのかと思ったんですけれども、その一方では、これまで伝統的な生活、自給自足で生きていた人々が、開発の流れの中でこれまでの生活をやめて、現代的な生活をしましょうとなった途端に、却って貧しい生活に陥ってしまう。そしてもう一つは、これが生物多様性の方に結びついていくのですが、近くに工場ができたことで環境が汚染され、近隣の住民が口にしていた魚が、工場から出された汚れた水で死んでしまうとか、そういう被害にあってしまう。
「豊かなになっていこう、物質的に豊かになっていこう」と思ってやったことが、結果的に貧困を招いてしまっている現実があるということを学びました。そのとき、「ああ、貧困問題と環境問題は繋がっているな」と思って。あと、紛争問題も。これらの問題は、繋がっていると同時に、繋がることによって、より拡大してしまうんだな、と感じました。それで、そういう面からも環境問題も学びたいと思って、今回就任させていただきました。

中井 その意味では、今までの活動の延長線上に、今回の名誉大使の話もあるということでしょうか。

MISIA はい。

中井 実際に、MISIAさんは現地に行って、自分の目で見ることを大切にされているんですよね。

MISIA はい。

「人間と自然がどうやって上手に生きて、どこで握手をして生きていくか」

中井 最近、MISIAさんはご出身の長崎県の対馬に行かれたそうですが?

MISIA ツシマヤマネコという、絶滅危惧種の現状と保全の取り組みを見てきました。日本では対馬にしかいないツシマヤマネコのことは、対馬で暮らしていた子どものときに、話には聞いていたけれども、じゃあ、今どういう状態で、どういうふうに自然の中で生活していて、どういうふうに人間の生活と結びついているんだろうというところを知っているかと言われたら、知らないということに気づいて。それで一度、ヤマネコについて知りたいと。そこから生物多様性という問題を見つめてみたい、見つめていきたいなという思いで行ったんですけれども。ツシマヤマネコは今90頭前後で、どんどん少なくなってきている事実で。まあ、20年前、私が住んでいたときも100頭前後といわれていたので、ほとんど変わっていない、もっと少なくなっている状態だったんですよね。
あと、対馬しかいない対州馬という馬がいて、日本の8種いる在来種のうちの一種なんですが、今では27頭しかいないそうなんです。そういう、ツシマヤマネコだけではなく、他の植物だったり、生物たちも絶滅してしまう可能性にあるっていうことも知らなかった。すごくびっくりしまして。けれど、やっぱり、日本に来る渡り鳥の8割が対馬に立ち寄るといわれているぐらい、すごく環境、自然豊かなところで、一見この自然が壊れているのが分からなかったんですけれども、でも地元の方にお話を聞いていくと、決して自然を壊したいって思っているわけではなくて、やっぱり自分たちの生活もある中で、どうやって折り合いをつけていけば、この環境が守られていくのかというところが一番のネックになっているっていうことを、私は行ってみて感じたんですけれども。そのときに、生物多様性って、やっぱり最初、難しい問題のように感じていたんですけれども、この生物多様性というものをCOP10で話し合うということは、保全であったり利用の仕方っていうこともありますけど、一番は人間と自然がどうやって上手に生きて、どうやって折り合いつけて、どこで握手をして生きていくかということを話しあうことなんだなということを、実感として感じました。

中井 ツシマヤマネコが住むような環境というのは、いわゆる「里山」といわれる、人と深い森との中間辺りと聞きました。

武内 農村では、今は高齢化や過疎化によって人が少なくなっているために、どうしても機械化を進めないといけないんですね。対馬以外の島でも、圃場(ほじょう)整備というんですが、田や畑を整地してしまうんです。
他方で、山の方は、従来は山から恵みを得ていたものが、今は木材を輸入したり、化学肥料使ったり、農薬に依存したりということで、どうしても山は必要でなくなり、山にはもう手を入れなくなってしまうんです。そうすると、今お話になっていた、人間と自然がうまく折り合いをつける場面が少なくなって、人間寄りの空間か、それとも放置された自然になります。その結果、中間領域的なところに生きてきた生きものがどっちに行っても行き場がなくなるという状態になります。ですから、中間領域を広げていこうという試みをやらないといけないのです。結局は、ある絶滅危惧種を残せばいいということではなくて、それが生きられる環境にするために、もう一度人と自然のかかわりをどういい関係にしていくのかが一番大きな課題だろうと思います。

MISIA 里山といわれている空間は落ち着きますね。私たちが、「ああ、気持ちいいな」と感じるところ、自然と人間の生活の境界でもあり、自然と人間がちょうどいい形で付き合える場所なんだなという、感覚的なところも感じたりしました。

中井 空気がきれいだったりとか、緑が豊かで、それに安心させられるということでしょうね。そういう、里山ってある程度人間の手をかけなければいけない。それが放置されている現実もあるということなんでしょうか。

武内 cmenu-21-p02.jpg世界と日本、それから世界のいろんな国々の中でも先進国と途上国という関係の中で、生物多様性に関するいろいろな問題がひずみとして起こっています。里山を取り巻く状況を考えてみると、日本は食料や木材を大量に海外から輸入している一方で、耕作放棄地といわれるような、使われなくなった畑や水田、そして森が広がってきています。
この二つの関係を考えてみると、一方で、私たちが食料や木材を輸入している国の自然がどうなっているのか、考えなければいけないし、他方で、私たちの国の自然がここのままでいいのかを考えなければいけないということが、問題の根本だと思うんです。

中井 日本の都市と地方の関係だったりとか、人間の生き方の問題だとか、その辺まで含めて考えなければいけないんでしょうかね。

MISIA 私は今東京に住んでいますが、対馬に行ったときに、都会に住んでいると見えないことがあるなあって、思いました。先進国にいて、途上国のことが分からないことと同じように、日本国内でも、都会に住んでいる人が、そういう自然の多いところの場所をどれだけ知っているかっていうと、なかなか知らないことも多いんだなあ。と。

武内 大都市に住んで利便性を享受すること自体は、ひとつの魅力ですし、日本が世界の中で他の国との間の競争力を保ちながら、国力を維持していくという上では、大都市は必要なものです。けれども、同時に、私たちの「原風景」というべき自然も体験できるような機会を、特に子どもたちに与えてあげないとバランスが取れないんじゃないかと思うんです。どちらかということではなくて、その両方を体験して、都会のよさも里山のよさも、いずれも理解できるような人がたくさん増えてくるといいなと思うんです。

中井 子どもにそういう経験をさせたいと。

武内 私自身のことをよくよく考えてみると、私のおじいさんが炭焼きだったんですよ。出身は和歌山なんですが、備長炭という有名な炭があって、ウバメガシという木を焼くと非常に堅い炭ができるんです。私が子どもの頃は、炭焼きを職業とする人は、山中に炭焼き小屋をつくるんですね。私の祖父も、よそ人の山を借りて、窯を作って、何日間か泊り込んでいました。そこに私も一緒に連れて行ってもらいました。
それで、炭が焼ける風景がずっと頭の中に今でも残っているんです。そのときから、山というのは使うものなんだなという思いがあります。しかし、それはすごく持続的なんですね。なぜかというと、根っこから木を切る訳ではないから、切った後からまた枝が出てくるんです。難しい言葉では「萌芽更新」というんですが、十何年か経つと、また元の林に戻るんです。
自然から大量に収奪するのではなく、少しずつ自然から恵みをもらっていくというのが、基本的な炭焼きのやり方なんですね。

中井 大切だといわれている、持続可能性ですね。

MISIA ちょっと残しておいたり、再生不可能な形にしないというのは、すごく大事なことなんだなあって思います。

武内 「サステイナビリティ(持続可能性)」という言葉の元々の考えって、例えば魚を獲ったとしても、獲り過ぎない。「許容の範囲内で資源を利用し続ける」、というのがもともとの概念なんですね。

中井 海外にも里山というような概念はあるんですか?

武内 「里山」は日本語ですが、人が自然とうまく付き合いながら、自然から豊かな恵みを持続的に得ていく、「土地利用」とも言える方式は世界中にあるんです。
ひとつ例を挙げると、MISIAさんも行かれたことがあるアフリカの南部に位置する、マラウイ、ザンビア、ジンバブエ、モザンビークといった国々では、熱帯地域のように降水量は多くはなく、大体300~500mmくらいなんです。この地域では伝統的に焼き畑が行われているんです。焼き畑自体は、焼いた後に、森林として復活するまで待つので、環境に悪い訳ではないんです。ただ降水量が余り多くはないので、焼畑にしても元の森林には、なかなか戻らない。それでどうするかというと、木の枝だけを切り落として、その枝を一箇所に集めて、そこで焼畑をするんです。そうすると、大きな幹を残すから、そこからまた新しい枝が出てくるんです。だから、短期間で森林の回復が可能になるのです。こういう方式を「チネメネ(木を切る)」というんです。これって、地域特有の環境の中でこそ生まれた生活の知恵なんですね。
ところが、最近では全部切っちゃえ、となってしまっていて、全部木を切り倒すので、農村地域では土壌侵食が起きて、その結果農村地域がますます貧困になるという問題にもつながっているんです。